私、恋人が2人います。「ポリアモリー」という恋愛のカタチ

私、恋人が2人います。「ポリアモリー」という恋愛のカタチ
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私、恋人が2人います。

いま私がお付き合いしている2人の恋人は、真逆といってもいいほどちがう性格です。おおらかでほんわかしているA君とは一緒にいてまったり安心できるし、気配りがこまやかで真面目なB君にはキュンキュンときめきます。B君はデートもセックスも私とだけ、という人ですが、A君はたまにほかの人とお泊まりデートに行くこともあります。ちなみに、3人でごはんを食べに行くことも。私にとってはそれぞれにかけがえのない存在で、どちらかがどちらかの“予備”というわけではありません。

「それって、浮気してるってこと?」という声が聞こえてきそうですが、さにあらず。今回は、私の「ポリアモリー」という生き方について、お伝えしたいと思います。

■ポリアモリー、知ってる?

「ポリアモリー」。この言葉、聞いたことありますか? ポリアモリーとは、すべての関係者の合意のうえで、複数の恋人と同時にお付き合いすることを指します(ちなみにひとりだけとお付き合いすることは、「モノガミー」)。

私がポリアモリーという概念を知ったのは、18歳のとき。恋人のほかにも好きな人ができて悩んでいたときに、インターネットでこの言葉を見つけたのがはじまりです。しかし、当時は「ポリアモリーを名乗ろう」という気持ちにもなれず、複数の人を好きになってしまう自分を抑え込んで、隠して生きていました。「こういう自分を“治す”ことができるかもしれない」と思ったから、結婚も経験した。でも、無理やり自分を変えることはできませんでした。28歳で離婚したのをきっかけに、自分を受け入れて一度きりの人生を正直に生きていこうと決めたのです。

ちなみに、ポリアモリーについて「何人も恋人ができるって、モテるってこと?」と疑問を持たれることがあります。

でも、それはきっと「試行回数」のちがい。人一倍惚れっぽい私は、あなたが誰かひとりを好きになって「デートに誘おうかな、どうしようかな」と悩んでいるあいだに、5人を好きになってデートに誘ったり告白したりしています。もちろん振られる回数も、それによって傷つく回数も、はるかに多い。たくさんリスクをとって、たくさん挑戦するからこそ、たくさん得るものがある、ということです。

■複数の恋人って、浮気とちがうの?

ポリアモリーと浮気とのちがいは、前述のとおりすべての関係者の「合意」があるかないか。私個人は、「ポリアモリーはいいが浮気は悪い」と倫理的な優劣をつけるつもりはありません。ですが、自らの関わるパートナーシップにおいて浮気をすること・されることには耐えられないと思っています。

とはいえ、複数の恋人とのお付き合いって、嫉妬心はないの? と思う人も多いことでしょう。

私は、「嫉妬心がある人・ない人」がいるというよりも、「嫉妬するシチュエーション・しないシチュエーション」があるのではないかと思っています。独占欲からの嫉妬、疎外感からの嫉妬、ライバル意識からの嫉妬、エゴからの嫉妬、不安からの嫉妬など、嫉妬にもいろいろ種類がありますし。

私自身は、恋人が私と仲よしの友だちとデートするときは快く送り出せるのですが、私のまったく知らない人とデートに出かけるとなると、不安になって嫉妬心がわいてしまいます。なので、そういう場合は、どんな人なのかできるだけ教えてもらうようにしています。自分がほかの人とデートするときや、「新しく好きな人ができたかも……」というときには、それを早めに恋人へ伝えます。そうすれば恋人が嫉妬したとしても、すぐその気持ちに向き合うことができますからね。お互いこまめに情報や気持ちを伝え合うことを大切にしています。

■「好き」がいくつもあるのは変なこと?

ポリアモリーでなおかつ、あらゆる性別の人が恋愛対象となる「パンセクシャル」である私にとって、「好き」の気持ちは必ずしも「ひとりだけの異性」に向くものではありません。そういう意味では、恋愛感情と友情の区別ってよくわからないし、区別が必要だとも思えないものです。

ときには、私が抱く「好き」に対して、周囲から否定的な言葉をもらうこともあります。

「ポリアモリーはおかしい、気持ち悪い」
「ポリアモリーは浮気やセフレの正当化にすぎない」
「ポリアモリーのくせにブスじゃん」
「ポリアモリーって性病にかかりまくりそう」

そんなときは、「なぜ、あなたはそう思うのか?」「なぜ、私はこう思うのか?」を考え、問いかけ、対話してきました。対話にならない否定は受け流す。いまでは、非難をぶつけてくる100人よりも、「ポリアモリーという概念に出会えてよかった」というひとりを大切にしたいと考えています。

誰かを素敵だと思ったり、尊敬したり、かわいいと感じたりする。性的に惹かれることもあるし、そうでないこともある。もっと一緒に過ごしたい、相手のことをもっと知りたい、自分のことをもっと知ってほしいと思う。その相手が男性の場合も、女性の場合も、それ以外の性別の場合だってある。私の「好き」って、そういう気持ちです。あなたの「好き」は、どうですか?

あなたの恋愛観と私の恋愛観は、もしかしたらまったくちがうかもしれません。ですが、恋愛観も含めたいろいろな価値観が異なる他人を「あたたかく放っておく」ことを忘れないでほしい、と思います。

「理解できない」も「生理的に無理」も、あっていいのです。多様性の尊重って、無理に理解し合おうとすることでも、やたらポジティブに全肯定することでもないはずです。「私はこうだけど、あなたはそうなんだ、ふーんなるほど」という、普通のテンションでいればいいのではないでしょうか。

誰かに「恋愛ってこうあるべき」を押しつけたり、他人と自分とを比べて「私の『好き』っておかしい」と悩んだりする必要はありません。もちろん、人並みであることや、みんなと同じであることそれ自体は、何も問題ではありませんが、本当はみんなと同じでいたくないのに「同じじゃなきゃ」と思い込むことが問題なのです。

「第三者がどう思うか」に関係なく、あなたと、あなたが大切に想う人(たち)が心地よく豊かに人生を送るために、どのようなコミュニケーションをとってどのような関係性を築けばよいか、ということを大事にしてほしいと願っています。どんな人も、昔の私のように「恋愛ってこうあるべき」という“ねばならなさ”に呪われて、自分の恋愛はまちがっていると苦しむ必要はないのです。だって、恋愛に「正しい」とか「まちがい」とかはないし、善悪も優劣もないのだから。

(文:きのコ、イラスト:あかり)

Source: マイナビウーマン